2010 年 8 月 26 日

8月24日と森永ヒ素ミルク中毒事件

8月24日は、私にとって特別の思い入れのある日である。
1955年のこの日、森永製の育児用粉乳にヒ素が混入していると発表され、
大パニックに陥った日である。
当時、私は小学生だったので、はっきりした記憶はないが、
死者130人、被害者12,000人、
しかもほとんど全員が乳幼児というとんでもない大事件であった。

被害者に後遺症があるということであらためて注目されたのが1969年で、
当時は医学部の学生だったので、衝撃を受けたことを覚えている。
その後、後遺症を明らかにするための疫学調査に参加したり、
被害者の支援活動をしたりして、関わりを深めていった。

そして、55年後のその日、「森永ヒ素ミルク中毒事件資料館」が開設された。
この日たまたま、岡山理科大学で、加計学園・順正学園の教職員を対象とした
「学生相談研修会」が開かれ、私は主催者として出席していたのだが、
その帰り、資料館に立ち寄った。

開館式や記者会見等が終わった後だったので、
私以外には誰もいなかったが、館長が暖かく迎えてくれた。

館長の岡崎氏は、姉(故人)が被害者で、父親(故人)は被害者運動の中心人物だった。
父親が保管していた膨大な記録や資料(私も昔,ほんの一部を見せてもらった記憶がある)
を埋もれさせるわけには行かないということで、資料館開設を決意したとのことだ。
確かに、世間ではほとんど忘れられているし、
若い人たちはこのようなことがあったこと自体知らないだろう。

世間から一度は完全に「終息」したと思われた事件を
14年後に再び表舞台に登場させた力になったのが、
岡崎氏の父親を中心に細々と続けられていた運動であった。

乳幼児期にヒ素を飲まされて、その後の成長・発達に影響がないということは、
医学の常識から言ってあり得ないが、当時の専門家は「後遺症はない」と言いきり、
そのことがその後14年間も放置され、被害者救済を遅らせた原因になったと言える。
その専門家は我々の先輩でもある。

医療関係者として肝に銘じなければならない。
私にとっての8月24日は、そういう日である。

看護学科 尾瀬

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館のホームページは,
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/framepagemorinagahiso.htm

資料館開設を伝える記事は,
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010082411492764/(動画付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20100824-OYT8T01249.htm
http://mainichi.jp/kansai/news/20100824ddf041040018000c.html

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