8月24日は、私にとって特別の思い入れのある日である。
1955年のこの日、森永製の育児用粉乳にヒ素が混入していると発表され、
大パニックに陥った日である。
当時、私は小学生だったので、はっきりした記憶はないが、
死者130人、被害者12,000人、
しかもほとんど全員が乳幼児というとんでもない大事件であった。
被害者に後遺症があるということであらためて注目されたのが1969年で、
当時は医学部の学生だったので、衝撃を受けたことを覚えている。
その後、後遺症を明らかにするための疫学調査に参加したり、
被害者の支援活動をしたりして、関わりを深めていった。
そして、55年後のその日、「森永ヒ素ミルク中毒事件資料館」が開設された。
この日たまたま、岡山理科大学で、加計学園・順正学園の教職員を対象とした
「学生相談研修会」が開かれ、私は主催者として出席していたのだが、
その帰り、資料館に立ち寄った。
開館式や記者会見等が終わった後だったので、
私以外には誰もいなかったが、館長が暖かく迎えてくれた。
館長の岡崎氏は、姉(故人)が被害者で、父親(故人)は被害者運動の中心人物だった。
父親が保管していた膨大な記録や資料(私も昔,ほんの一部を見せてもらった記憶がある)
を埋もれさせるわけには行かないということで、資料館開設を決意したとのことだ。
確かに、世間ではほとんど忘れられているし、
若い人たちはこのようなことがあったこと自体知らないだろう。
世間から一度は完全に「終息」したと思われた事件を
14年後に再び表舞台に登場させた力になったのが、
岡崎氏の父親を中心に細々と続けられていた運動であった。
乳幼児期にヒ素を飲まされて、その後の成長・発達に影響がないということは、
医学の常識から言ってあり得ないが、当時の専門家は「後遺症はない」と言いきり、
そのことがその後14年間も放置され、被害者救済を遅らせた原因になったと言える。
その専門家は我々の先輩でもある。
医療関係者として肝に銘じなければならない。
私にとっての8月24日は、そういう日である。
看護学科 尾瀬
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館のホームページは,
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/framepagemorinagahiso.htm
資料館開設を伝える記事は,
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010082411492764/(動画付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20100824-OYT8T01249.htm
http://mainichi.jp/kansai/news/20100824ddf041040018000c.html