今週末、今話題の「鬼滅の刃 無限列車編」を見てきました。
岡山駅近くの映画館には実際多くの人が来ていましたが、座席は前後左右に空席を設ける形で販売されており、慎重にコロナ対策が実施されている様子でした。
「鬼滅の刃」については、実は私は漫画もテレビアニメも見ていないので、今回の映画版が初めてのことになります。
とにかく、人気の秘密がとても気になって映画館に足を運んだわけです。
以下、私の個人的な感想です。
「鬼滅の刃」全体の主人公は、もちろん竃門炭治郎(かまど・たんじろう)なのでしょうが、今回の作品「無限列車編」に限って言えば、煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)なのかもしれません。
鬼殺隊の少年らを導く良き先輩としての役割が、その戦いぶりと最後の死に様に十二分に描かれていたからです。
ただ私がちょっと気になったのは、しばしば出てくる彼のアップ顔でした。
背景部分が精緻な3Dで描かれているのに対して、煉獄の顔は原作の漫画そのままに完全な平面なのです。
それがまるでテレビの場合と同様に、巨大なスクリーン一杯にアップされるわけですから、ちょっと驚いてしまいます。
彼のまっすぐな性格を映像として印象付けるための、あくまで一つの表現手段なのでしょうが。
「鬼滅の刃 無限列車編」では、アニメでしか表現できないような自由自在な戦闘シーンが大きな見せ場になっているのですが、それだけで終わっていたら単なるバトル物でしかありません。
炭治郎や煉獄らそれぞれの個人的な戦う理由が丁寧に掘り起こされていて、それによって作品がとても味わい深いものになっています。
一方ではまさしく骨身を削るような激しい戦闘シーンや鬼の首を切るような残酷な行為があり、他方では主人公らの戦う動機に潜む人を思う思いの深さがひしひしと感じられ、その両方が危うい均衡を保っているところに、この映画の感動の秘密があるように思いました。
実は鬼たちにも、それぞれが鬼になった理由があり、また戦う理由があるのですね。
単純な勧善懲悪の物語にならないよう、ここでも正邪の微妙なバランスが作品に奥行きを与えているのでした。