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井上博明教授に聞く プロデューサーという仕事

スペシャルインタビューvol01井上博明教授に聞く プロデューサーという仕事

井上先生の仕事机。机の上には、世界SF大会のトロフィーや、愛猫の写真も。

井上博明教授略歴

1958年生。1980年代初めから手塚プロで制作進行に従事。その後、マジックバス、エムケイを経て、ガイナックスの設立に参加。この間、テレビアニメ「レンズマン」、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」、「トップをねらえ」等を制作。その後AICを経て、株式会社オニロ代表取締役。「天地無用」シリーズ、「メモリーズ」等を制作。2014年4月から、吉備国際大学アニメーション学部教授。SFファンダムでの活躍も著名で、2007年パシフィコ横浜で開催の第65回世界SF大会では実行委員長を務めた。

プロデューサーとはどんな仕事?

――早速ですが、プロデューサーとはどのような仕事なのでしょうか。
プロデューサーといっても、いろいろな立場があります。たとえば、テレビ局だったり、映画会社だったり、最近でいえば、ビデオメーカーであったり、そちらにもプロデューサーがいらっしゃって、アニメーションのスタジオにもプロデューサーがいます。さらに、プロデューサーという名前で(分野を)広げていけば、音楽のプロデューサーだったり、宣伝のプロデューサーがいたりします。職能や会社での立場で、同じプロデューサーでも違ってきます。
テレビアニメーションを例に挙げれば、テレビ局のプロデューサーがまずいて、スポンサーを決めてくる広告代理店のプロデューサーもいて、あと、子ども向けの作品であれば、作品と絡めて玩具を制作するおもちゃメーカー側のプロデューサーもいる場合もあります。アニメーションスタジオのプロデューサーも、そうした中の一人ということになります。こうした人たちで、企画を考えて、決まったら、予算・スケジュール・スタッフを決めて、それらを全部取りまとめる―これがプロデューサーの仕事です。
これで実際に制作をすることになった場合には、放送の日程を固めていく。オリジナルビデオならば発売の日程ですね。それに合わせて作品の制作スケジュールを決める。それに付随して音楽を決めたり。こうした仕事一切合切、企画から予算を組んで、実際に実行して、実行したものを公開・放送・販売とか、そうしたものを取り仕切るのがプロデューサーの仕事です。
――難しいかもしれませんが、一言で言いますと?
全体の取りまとめ役ですね。プロデューサーと対になるのが、一般に言う「監督」。ディレクションを行って作品の中身に責任を持つ者との2つの組み合わせで、普通のアニメーションは制作されています。

プロデューサーになるためには?

――プロデューサーになるためには、どのようなキャリアを積むのでしょうか。
今お話ししたように、いろいろな立場・職能のプロデューサーがいますので、一概にこうでなければならないということはありません。でも、アニメーションスタジオのプロデューサーということで限定して言えば、おおむね制作というセクションから成ることが多いです。一番最初、新人の時代で言えば制作進行という職種ですね。制作進行は、いわば作品づくりの潤滑油という存在で、作品づくりの工程を一つ一つ追いかけて行って、様々な職種と職種・工程と工程の間の調整を行っていくことで、完成までもっていく、と。
制作進行の仕事にある程度慣れて、キャリアを踏むと、その次には制作デスクという立場につきます。この職種は制作進行を束ねる。たとえば、テレビアニメの場合で言うと、毎週毎週放送されますから、月に5本作らないとなりません。そうすると、制作進行が、5人くらい担当がいますので、それを全部まとめるのが制作デスクです。
その上に、会社によって違いますけど、アシスタントプロデューサーという職種があって、プロデューサーと制作デスクの間に入って調整をやる、と。
で、その制作デスク、ないしアシスタントプロデューサーから、プロデューサーになる。プロデューサーになって、はじめて作品の全体をかためる、決める立場になるわけです。 これが、一般的なキャリアですね。
――そうすると、まずはアニメスタジオに入ることになるのが大事ということでしょうか。
そうですね、アニメーションの制作をしたいとなれば。ただ、もちろん、先ほどもお話ししたように、アニメーションスタジオ以外にも、テレビ局、映画会社、場合によっては、出版社、玩具メーカー、ゲームメーカー、あとは最近だと遊技機器(パチンコ、パチスロ等)のメーカーや音楽会社に入ってから、制作部門や企画部門に配属されて、プロデューサーになるということもあります。
――先生の場合は、どういうキャリアでプロデューサーになられたのでしょうか。
私はもう制作現場からなので、制作進行から始まって、制作担当、アシスタントプロデューサーになって、プロデューサーになったということです。

プロデューサーの醍醐味は?

――プロデューサーの仕事の大変なところ、逆に醍醐味といえば?
大変ということで言えば、全体を束ねるわけですから、まずは作品の方向性、自分たちからこういう作品をつくりたいと、メーカーを選んだり、テレビ局を選ぶこともありますし、逆に、メーカーやテレビ局から子ども向けの作品をつくってほしい、マニア向けの作品をつくってほしいという依頼を受ける場合もありますが、いずれにせよ、作品の方向性を固めるのが、まずはプロデューサーの基本ですね。それと並行して、すべてのスタッフ、予算、スケジュールを管理しなくちゃならない。
また、劇場作品でいちばん長く携わった作品でいうと、足掛け4年1本の作品につきっきりになったのですが、この4年の間、プロデューサーは、作品の細かいところまですべて見なくてはならない。つまり、プロデューサーは、方向性という意味で、全体をつかむ能力、それと個々の細かい部分のクオリティを見定める能力、その両方が必要です。さらにもっと必要なのが予算とスケジュールの管理をする能力。このように、クオリティと予算とスケジュールを管理するので、生半可ではできないかなと思います。
逆に、醍醐味は、それがすべてうまくいって、多くのファンが喜んでくれたり、ビジネスでもあるので、儲かったりとかする結果が、楽しみですね。それと、私も37年間この業界にいますから、昔やった作品を見ていましたと声かけてくれると、とてもうれしいですね。

井上先生と作品。左から「天地無用!劇場版Trilogy Box」(原作・原案:梶島正樹、監督:ねぎしひろし、木村哲)、「Perfect Blue」(原作:竹内義和、監督:今敏)、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」(監督・原案:山賀博之)。

プロデューサーの醍醐味は?

――プロデューサーになるために必要なことは?
まずは、基本的に人と話せること。どういうことかというと、プロデューサーはいろいろな部門の調整をする必要があるので、人と話せることがまず大事です。そのためには、いろいろな知識を持つこと、それと一般常識。また、一方では、すべての人がみな同じものを作ろうとするわけではなくて、いろいろな人たちがいるから、いろんなことに興味を持つこと。興味を持つことが一番大事ですね。自分が好きなことが一番大事だけど、自分が興味を示すことができるものをいかに広く持てるかが大事だと思います。
――吉備国際大学で学ぶとしたら、どういう点に力を入れればよいでしょうか?
まず、基礎は担当の先生方がいますから、しっかり学ぶことができますよね。基礎以外では、一番わかりやすいのは、仲間。先輩・後輩も含めて、仲間といっしょに何をつくることができるか、何をそのとき話せるかが大事ですね。
うちの大学、おかげさまで、日本人以外の留学生も多いので、「世界を見る目」をつくれるというのが一つの良さですよね。アニメーション文化学科に来ている留学生は日本のアニメーションが好きなので、お互いに日本のアニメという話題だけで話せるはずなので、そこからいかに仲間を作れるか。
実はアニメ業界は同期や同じ年代の仲間が大事で、仲間同士で作品を作ることが多いのです。「エヴァンゲリオン」をつくっている中心メンバーは、ほぼほぼ新人の時からいっしょに業界に入ってきた人たちが今また集まって作品を作っています。学生時代の仲間が、10年経って、20年経って、何かの作品をいっしょに作るという機会が意外と多いんです。ですから、そういう点で、学生のうちに先輩、後輩を含めて、いかに仲間を作れるかが大事ですね。
――絵を描くことは、プロデューサーになるには必須の能力なんでしょうか?
いや、絵は全然。ぼくは、実は絵は全然描けなくて。そうだなあ、たぶん小学生の絵のうまい子のほうがぼくより絵がうまいのじゃないかというくらい(笑)、全然自分では描けない。ただ、絵は描けないけど、うまい絵はいっぱい見ているので、絵の良し悪しは自分なりには分かるつもりです。
うちの学科でいえば、アニメーターとして、絵描きとしても勉強しますし、プロデュース的な勉強もしますが、絵が描けないからアニメはできないってことは全然ありません。今実際プロデューサーと言われている人で本当に絵を描けないという人がいないわけではないんですけど、絵を「描かない」人たちばかりです。
なかには、監督でも絵を描かない監督も何人かいます。もちろん演出家としての力はお持ちで、監督によっては、絵コンテ(作品の設計図・青写真)も自分では描かずに、誰かに指示して書かせるという方もいます。そういうこともあるので、絵が描けない、苦手だからと言って、アニメ業界に入れないというわけではないですし、プロデューサーはもちろんのこと、場合によっては監督になることも可能です。

学生たちに伝えたいことは?

井上先生がかかわった作品の一部を紹介。アニメ映画やDVDボックス、絵コンテ集や公式ガイドブックなど、多様なメディアのプロデュースに携わる。アニメファン、SFファンには懐かしかったり、思い出が深かったりする作品が多いのでは。

――これから、アニメ・映像業界を目指そうという高校生に伝えたいことはありますか?
まずは高校生時代も、大学は行ってからもそうですが、できるだけいろんなことに興味を持つ。アニメが好き、マンガが好きということで、アニメばかり見ている、マンガばかりを読んでいるというのも悪くはないんですが、意外と、本当に仕事をしようとしたときは、それ以外のこと、一般の小説だったり、映画だったり、お芝居だったり、古典芸能だったりを見る。そういうものが役に立ったり、参考になったりすることがあります。それ以外にも、鉄道が好きだ、飛行機が好きだ、食べることが好きだ。そういうことも含めて、いろいろなことに興味をもって、それを自分の中で取り込めることがとても大事ですね。
――先生は、手塚プロ時代に、手塚先生とよくSF小説の話をされていたそうですね?
そうですね、ぼくがアニメーションの仕事をしたのは、もともとアニメファンだったわけではないんです。40年位前のことですが、みんな小学校の半ばでテレビアニメは見なくなって、友達と遊んだりするようになる時代です。だから、ぼくも、小学校3、4年でアニメは見なくなった。好きな漫画家のアニメ化作品なんかは見ていましたけど、むしろ映画が好きだったり、鉄道が好きで写真を撮りに行ったりしていました。あと今お話があったように、SF小説が好きだったり。
手塚プロに入って、深夜から明け方に手塚先生が、仕事が終わってから帰られるとき最後の仕事が漫画なら専属の運転手さんが、アニメならアニメ部の手空きの者が自動車でお送りしていたんです。私はその頃、会社の中で運転が大人しい方だったのでよくお送りしていました。そのとき、お疲れになってお休みになる事が多かったのですが起きていらしゃる時にはアニメやマンガの話は仕事につながるので、他愛もない話をさせて頂いていたのですが早い段階で私がSF好きと知られて、もっぱらSF小説や映画の話をしたりしたんですね。先生は「井上氏(誰にでもお声を掛ける時には名前の下にさんや君ではなく、氏をつけてお話をするのが癖でした)は最近何を読んでいるの?」と尋ねられて、私が「○○を読みました」と答えると、「それはどんな話し?」とか「面白かった?」みたいな会話を二人きりの車のなかでしていました。SF好きでなければこのようなことにはならなかったですね。
ですから、そういう下地があったものですから、ぼくが携わった作品はSF的な作品が多いということもあるんですけど、間口が広ければ広いほどいろいろなことができる。いろいろなことに興味を示すということは、意識してもったほうがよいと思います。
―なるほど。長時間どうもありがとうございました。
インタビュー:2016年4月2日
撮影:今村俊介、構成・インタビュー:大谷卓史
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