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清水光二アニメーション文化学部長・教授に聞く アニメーション文化学部で学ぶということ

スペシャルインタビューvol02清水光二アニメーション文化学部長・教授に聞く アニメーション文化学部で学ぶということ

清水光二吉備国際大学アニメーション文化学部長・教授。脚本も手掛けた監督作品「よるべしるべ」のポスターとともに。

清水光二アニメーション文化学部長・教授略歴

1956年生まれ。専攻:ヨーロッパ文学(英文学を除く)、外国語教育。吉備国際大学文化財学部アニメーション文化学科長等を経て、2014年4月から現職。2014年2月、「さぬき映画祭・映像作品企画募集(一般部門)」において、オリジナル・シナリオ「よるべしるべ」が映像化作品に決定。同映画祭の支援を受けて、映画化。2015年2月同作品を「さぬき映画祭2015」で上映し、表彰を受ける。2015年2月第11回順正学園学術交流コンファレンス創立者加計勉賞受賞。

アニメーション文化学科の3本の柱

――アニメーション文化学部をご紹介いただけますか。とくに、ほかの大学とはここが違う!という点を教えてください
地方にある大学でありながら、(アニメ)制作の先生、プロデュースの先生、従来は文学部で主に行われていたと思いますが、文化研究、この3つの柱が揃っているのは、とても珍しいのではないでしょうか。それから、吉備国際大学には留学生がたくさんいるんですが、授業の中で留学生と日本人学生とがかかわる機会が多いので、アニメーションが世界に向けて広がる可能性をもっていると体験できる場所だろうと思います。これも、なかなかほかの大学にはない点だと思います。
――3本の柱について、ご説明をいただけますか。
最初に力を入れたのは、アニメ制作なのですが、仁紙先生という、いまも大阪にアニメスタジオを構えていらっしゃる先生をお呼びして、アニメーションの基礎から学べるカリキュラムを構成しています。
1年生は、まずデッサンから始まります。人間の動きであるとか、骨格のかたちであるとか、頭の中で描いて、アニメのキャラクターにつくれるように、基礎を学ぶために、デッサンを学びます。 それと並行して、「歩き」の動作、「走り」の動作を、実際に自分で、アニメでつくってもらいます。そうすることで、実際に原画を割っていく――「中割」というんですけど、アニメーションを作るときにはとても重要な作業になります――その中割の基本を覚えてもらいます。それから、自然現象(のアニメーション制作)を学んで、その次に、メタモルフォーゼというのですが、キャラクターが変身していくわけですね、さまざまなキャラクターを描き切るという勉強もします。
基礎力が身についたところで、3年生、4年生からは、自分の作りたいアニメを、たとえば、15秒から30秒という短いもの、それから、卒業制作ではだいたい5分前後になるでしょうか、だんだんと本格的な作品をつくっていきます。これが、大きな柱の1本のアニメーションの実技です。
それから、2年前(2014年)に、プロデュースの専門家である井上博明先生をこの学科に迎えることになりました。とにかく井上先生は現場で活躍していらっしゃった方で、伝説みたいな話ですけど、手塚治虫のスタジオ(手塚プロ)に勤めていて、手塚治虫を自動車の隣に乗せて運転していたというようなご経験をお持ちなんですね。日本のアニメーションが本格的にテレビに出てくる、映画として上映される、そして、「オタク」と呼ばれる若者が出てくる。そうしたアニメーションにかかわる「本道」を目の当たりにしてきた方です。いろいろなことを本当によくご存じで、まるで生き字引のような方なんですけど、その方をお招きして、プロデュースという面について教えていただいています。
アニメーションに興味のある学生は、読むこと、書くこと、つくることについては興味があるにしても、自分で企画を出すとか、人を集めるとか、場合によってはお金を集めることも必要もあるんですが、そういうことまで興味を持つ学生さんはまずいないと思います。しかし、社会に出てからは、良くも悪くもそういう「裏方」のことも知らないと、アニメの仕事に携わるのは難しいのではないかと思います。とくに、独立してアニメーションを作ろう、アニメーターになろうという場合はそうだと思います。そして、いったんつくったら、その作品をどうやって世の中に広めていくのか、販売のルートに乗せるのか、今だったら海外にどう展開するのかということまでやらないと、アニメーションはつくれなくなっています。そういう意味で、実務に詳しい井上先生をお招きしたのは、本学部の大きな魅力になると思っています。
それから、最後にアニメーションの文化研究なんですけど、普通の映画と違って、アニメーションというのはいとも簡単に国境を越えていくんですね。最初から世界を目指したようなアニメもあるだろうし、そうでない場合もあると思うんですけど、普通の実写と比べると――抽象度が高いこともあるんでしょうけど--、いとも簡単に国境を超えていきます。そして、世界中で日本のアニメが見られる状況にあります。だけど、その一方では、ちょっと暴力的なところはうちの国ではだめですよ、あるいは、この肌の露出は無理ですよ、といったさまざまな制限や条件も課せられてしまいます。そういうところでは、アニメーションを媒介にしながら、それぞれの国の文化的特徴が表れているんだと思います。アニメーションやマンガを素材にしながら、さまざまな国の文化的なしきたり、制度、約束事、普段は表に出ないんだけれども、アニメーションを通して見えてくるというものがあると思うんですね。こういう課題に文化的研究として取り組めばおもしろいんじゃないかと思います。実際、中国の黄岡師範学院という学校やインドネシアの大学に対して、アニメーションを通しての比較文化・制度比較を共同研究しませんかという提案を行っています。ですから、作品解釈あるいは作家に関する評論だけでなく、グローバルな中でのアニメーション研究をできるのも本学科の特徴じゃないかと思っています。

高校では何を学べば良い?

――本学でアニメーションを勉強したいという人は、高校では、どのような勉強をすればよいでしょうか。
そうですね、とにかくアニメーションが好きで、たくさんアニメーションを見ました、自分の関心はこういうところにありますという意識がある方、あるいは作り手になりたいというひとは、自分の表現の原点はここにあるんだという意識を、漠然とでもいいから、もってくださる方――こういう方たちが来てくだされば、(本学での勉強は、)おもしろいんじゃないかと思います。ただ、何かをやったら絶対よいというものはないと思うので、そのときそのときでの自分の関心のありかみたいなものを、こう「触手」を動かしながら探していくという意識的な積み重ねが、創作活動においても、批評をするという場合においても、大事だと思っています。
――本学部では、アニメを基礎から積み重ねて学べるというわけですね。大学時代は、どのように過ごせばよいか、アドバイスはありますか。
アニメーションの制作、プロデュース、文化研究という3つの柱があるとお話しましたが、自分の関心やアニメに関するイメージがまだまだ高校生の段階ではないと思うんですね。それでも実はよいと思っていて、漠然とした気持ちでもかまわないので、入ってきていただいて、入ってきていただいてから、3つの柱の授業があるし、それに関連する先生がいるしということから、自分自身の関心というものを徐々に見つけていただく。それが大事なんじゃないかと思います。
それと同時に、大学は、専門の勉強をするだけでなく、世の中に一人の社会人として出ていくための準備期間でもあると思います。必ずしもみんながみんなアニメーターになる必要もないわけなんです。ですから、社会に出ていくための準備期間として、アニメーションにかかわりながら4年間を過ごす。そこで自分は何をしたのか、自分は何を感じたか、それが自覚できて、たとえば、社会に出たときに、人に向かって、大学時代こんなことをやっていた、アニメーション文化学部というちょっと変わったところだったんだけど、こんなおもしろい体験をしたと、言えるようになることが、一番大事なんじゃないかと思います。
アニメーターの専門の道に進みたい人は、職場に行けば、いやというほど訓練させられるし、仕事をさせられるわけですから、学生は、そこは急にやる必要はないのであって、もっと広い視野の中で自分を見つめる、アニメーションのことをゆっくり考えるという過ごし方をしてくれれば、とくに、専門学校ではなく、大学でアニメーションを学ぶと考えれば、それでいいんじゃないかなあと、ぼくは思います。

研究室の愛用のノートPCの前で。後ろの本棚には、ドイツ語学・ドイツ文学関連の多数の書籍が見える。

清水先生について

――先生は、ドイツ文学者でもいらっしゃいますよね。
就職する際には、大学院でドイツ文学を学んだという肩書で就職をしました。だけど、元をただせば、私は、高専(工業高等専門学校)で機械工学を勉強して、エンジニアで就職するつもりだったんです。ところが、時代ですね。オイルショック(1974年と1978年の2回、国際情勢の変化によって石油価格が急激に上昇したことで、需要が冷え込み、日本経済が不景気に陥った。この出来事を「オイルショック」という)があって、機械系ではみんな就職ができなかった。私もプータローを1年して、どうしようかなと思ったんですが、若い時って何を考えてるのかわからないところがあって、どうせプータローをやるんだったら、今までとは全然違うことをやろうと思って、じゃ、大学に行って文学の勉強をしようと考えたんですね(笑)。今だったらこんな無謀なことは考えないと思うのですが、そのときは自分のなかではとても自然な衝動だったので、大学に行くことになりました。で、なんというんだろうな、何かがやりたいから、テーマがあるからというわけではなくて、欠落している部分を補うような術を探しながら、探しながら、若いころは過ごしていたように思います。とくにドイツ文学が好きというわけではなくて、自分の中の「言葉探し」、もっと言えば、「自分探し」「自分のアイデンティティ探し」になるんでしょうけど、自分を語る言葉、表現する言葉がないと思っていたんですね、機械工学なんてやっていたから。自分の言葉を探すために、大学に行った、ドイツ文学を勉強したという感じだと思っています。
吉備国際大学に勤めてからは、ドイツ語の教師として教えてきました。いまはアニメーション文化学部の所属なんですけど、(ドイツ語・ドイツ文学と映像の教育・研究は)表面的にはまったく違うことをやっていて、おかしなことをやっていると見えるかもしれないんですけど、どういうんでしょうね、自分の言葉を探したくて道を変えてきた、アニメーションにしたって、映画を作ることにしたって、表現の手段は違うんだけど、自分のスタイルで何かを伝えたい、表現したいというスタンスは、(自分の言葉を探すために文学の道に足を踏み入れたのと)いっしょなんですね。だから、自分のなかでは、二十歳ごろから一貫しているように、思っています。ただ、いろいろなことに手を出しちゃうと、いろいろなことがどれも中途半端だという反省は、あります。以上です(笑)。なんか告白物になってしまいましたね(笑)。
――進路や将来に迷う高校生・大学生には、回り道のように見えても、人生のさまざまな出来事や決断がきっとつながっているということが、先生のお話からわかるかしれませんね。
むちゃくちゃな進路変更なんだけど、家族や先生に勧められたわけでもなく、間違っていることかもしれないけど、自分で決めたことですよね。そうすると、逃げようもなく、責任が付きまとってくるので、生き方の真剣さは、何をやっていても、無自覚の十代とは違ってきますよね。
話がそれるかもしれないんだけど、今の僕の仕事でとても役に立ったと思うのは、英語の「Toast Masters International」という世界的なクラブがあるんですが、英語でスピーチをするスキルを磨く社会人クラブ、岡山でここに入って学んだことですね。ここで学んだことが結構役に立っているなと思うことがあるんですよね。日本語でもいいし、外国語でもいいのですけど、スピーチというのは、それこそ(人に見てもらう)ショーかもしれないし、(ことばで聴衆や論争相手と戦う)ボクシングかもしれないんだけど、ともかく緊張関係のある中で自己表現しなくちゃならない。自分が言ったことに、聴衆が何らかの反応を示してくれるんですけど、その反応があった時に、十代のとき自分の言葉を持たなかった人間からすると、「ああ、ぼくも言葉を発していいんだ」という素朴な感動を感じることができるんでよすね。ぼくがいま言ったことで、この人笑ってくれているとか、何か考えてくれている、受け止めてくれているとか。ああいう体験って、すごく今の人には欠けているんじゃないかと思うんですよね。通信媒体がいろいろあるから余計そうかもしれないんですけど、生の言葉で、いまぼくの言葉が人に伝わっているとリアルに体験できるのは貴重な体験だと思うし、これが積み重なれば、コミュニケーションの自信にもなると思うんです。そういった体験をみな学生時代にやったらよいと思うんですよね。
――なるほど。コミュニケーションが苦手だとか、友達をつくるのが苦手だと思っている高校生・大学生は、思い切って、そういう場に飛び込んでみるのがいいかもしれませんね。


映画「よるべしるべ」について

――先生は、映像作家でもいらっしゃいます。映画「よるべしるべ」を監督されました。どのような経緯からこの作品を監督されるようになったのか。また、どんな映画なのかご紹介ください。
香川県で開催されている「さぬき映画祭」は、地方の映画制作者を育てようというのが目的のひとつの映画祭なのですが、この映画祭の主催グループが開講している「映像塾」の「シナリオ制作講座」に参加したのが、一つのきっかけです。ここで学ぶ中で、ことばと映像との関係を意識するようになりました。ことばで考えるのと、実際に映像になるのとはまったく違うものなんですよね。だけど、シナリオを書く場合は、このことばがどのような映像になるのかをいつも意識しないといけないので、こういう考え方でことばを操る仕事もあるんだなというのが、とてもおもしろい経験でしたね。 こうした講座の一方で、「さぬき映画祭」は企画募集という活動もやっていまして、これは、要はシナリオを出してください、おもしろいシナリオがあれば、それに資金援助をするので、1年間かけて映画化して下さい――という趣旨のものです。試しに応募してみたら、選ばれて、賞金をいただくようになりました。もらってしまったら、もう撮影するしかないので、いろいろな人にお願いして、とくに香川県の「映像塾」関係の人にいっぱい手を貸していただいて、映画を作ることになりました。
映画は「よるべしらべ」というタイトルですが、岡山から金毘羅さんのある香川県の琴平まで、江戸時代にできた街道を歩いていくという、ロードムービーですよね。どうしてこれをつくったのかというと、シナリオを書く時に、もちろんフィクションだからなんでもかまわないんですけど、今の自分が言えること、今の自分が責任をもって言えることをつくらないと、素人が中途半端な空想物を出しちゃうと、すごく足腰が弱い物語になってしまう気がしたんです。で、自分が住んでいる岡山市の庭瀬に目を向けてみると、ここから琴平に向けて旧街道が残っていた。実際自分でこの道を自転車で走って確認したんですね。こういう古い道があって、何十万もの人がたどった道を確認したうえで、これを土台にすれば、あとは人間関係のドラマをつくれば許されるだろうと考えて、ロードムービーをつくりました。
どうして歩いて金比羅山まで行くのかということですが、なんというんだろうな、人と人がかかわりあう、わかりあうというのは、本当は、とてもくそ面倒くさくて、時間がかかって、もうたいへんなことなんだろうと思うんですね。だけど、普通はそんなこと表に出さないし、適当なところで収めると思うんですけど、本気で人とかかわりあおうとしたら、覚悟して面倒くさいプロセスを経なくちゃダメなんじゃないのという思いで、歩いて別れた家族のもとを訪ねるというシチュエーションにしてみました。
素人がつくった映画なので限界もあったし、ああ、そうだったんだと撮影しながら思ったこともあったんですが、協力してくださった方々は、岡山や香川の方なんですが、地域の方々はすごく喜んでくださったと思います。自分たちのふだん見ている街並みが、古い街道が、映像の中でこういう風に見えるんだ、こういう歴史的つながりの中で、いまの道が残っているんだ、この道を江戸時代から何十万人の人々が通って行ったんだと、映像を通して、身近な風景が変わったように見えてくるということがあると思うので、地元の人は喜んでくれたと思います。ただ、それ以上のものは素人の作品としては難しくて、あえて全国に打って出るというようなことは考えてはいません。できることとできないことを確認しながらつくったという作品ですね。
――映画制作のご経験は、授業にはどのように生きていますか。
そうですね、直接には、「映像の企画・構成」や「シナリオ制作」の授業に役に立っていると思います。さきほども言いましたけど、小説とシナリオの違いは、小説はことばで完結してしまうんですけど、シナリオはふつう表には出ない、キャストやスタッフなど仲間内だけで見るものですよね。だけど、映像になることを目的としてつくっているんで、ことばだけで完結しないように、ことばで書くものはすべて目に見えるものとして書くように、ということを体験したので、そういったところは授業の中で役に立っているんだと思います。
(「映像の企画・構成」や「シナリオ制作」の)授業は講義で、必要な情報を提供して、あとは実際に学生に作品を書いてもらう、学生同士みんなで講評してもらうという形式をとっていますね。人のもの(シナリオ)を見ると、至らないところや不十分なところがよくわかるんですよね。だからといって、すぐにそれで自分がいいものを書けるようにはなかなかならないと思うんですけど、自分で書いてそれを人に見てもらって、ときに厳しいコメントをもらうというのも、すごくいい勉強になっているんじゃないかと思います。

学生・受験生へのメッセージ

――アニメーション文化学部を目指す高校生・受験生に何かメッセージをお願いします。
最初高梁にアニメーション文化学科ができたときは、「どうして高梁でアニメなの?」という質問をいただくこともありました。ところが、最近の動きとしては、岡山県井原市にアニメスタジオ(アスラフィルム)ができました。近々総社にもできるという話も聞いています。とにかくいままでは東京でないとアニメは勉強もできないし、制作もできないという状況だったんですけど、だんだんと崩れてきて、まあ、現代はネット社会ですから、データ化されていれば、制作の場所は問わないわけですよね。家賃が高い東京で、不規則な生活をしながらアニメーターの生活をするよりは、多少給料は安いかもしれないけど、自然豊かな環境でアニメーターの仕事をするほうが本当は幸せなのかもしれません。実際、地方のアニメスタジオが地元の風景やお祭りなどを生かして制作する作品が、2000年代以降注目されるようにもなってきています。こうした地方へとアニメーション制作が向かうという大きな流れが、日本全国でいま少しずつ起こっていて、岡山県や高梁もその流れの中にあるのだろうと思います。
また、国全体としても、ご存知のように、日本のアニメを海外に売り出そうという動きが盛んです。売り出すだけでなく、実際問題として、作る段階から日本だけでつくるのはもう難しくなっていますよね。人件費のこともあるから。中国であるとか、韓国であるとか、いまだったらインドネシアやタイ、ベトナムなど、人件費の安いところにどんどん出て行っています。現代のアニメーションは、作る段階からグローバルにつくられていますし、享受する段階でもグローバルに享受されています。
本学の学生は、日本人学生だけでなく、中国・韓国・台湾からも留学生が来ています。本学では、こうした環境で、学び過ごすなかで、グローバルなアニメーションの広がりをリアルに体験できると思います。
東京ではなく、地方でアニメーションを作る、新しい時代の動きを体験できる、地域からグローバルな世界へ向かってのアニメーションの広がりも体験できる。東京でないとアニメーションは勉強できないよと思っている人もいるかもしれませんが、東京に依存しないような形で、地方で、それも世界を狙えるようなアニメーションをつくれる時代になろうとしていることを感じます。高梁が、グローバルなアニメーションの広がりを感じるとともに、そうした世界を狙うアニメーションの発信地になってくれればよいなと思っています。
――高梁は、アニメーションの未来のエッジに位置している、ということですね。本日は長時間にわたり、ありがとうございました。

清水先生の著作・翻訳2冊--ヴィンフリート ネルディンガー著、清水光二訳『ナチス時代のバウハウス・モデルネ』(大学教育出版、2002年)、『ドイツ語コンパクト』(大学教育出版、2001年)。

インタビュー:2016年5月25日
撮影:今村俊介、構成・インタビュー:大谷卓史
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