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前嶋英輝教授に聞く アニメーション文化学部で美術・デッサンを学ぶということ

スペシャルインタビューvol03 前嶋英輝教授に聞く アニメーション文化学部で美術・デッサンを学ぶということ

前嶋英輝アニメーション文化学部・教授略歴

専攻:美学・美術史、美術教育。1993年岡山大学大学院教育学研究科美術教育修士課程修了。吉備国際大学文化財学部准教授を経て、2014年4月から現職。2008年、粘土場による教育で、日本美術教育学会 第四回実践研究奨励賞。2013年10月、一陽会 一陽展会員賞。彫刻家として活躍する一方、大量の粘土を活用して幼児が自由に遊び造形感覚を養うことができる「粘土場」の実践活動など、美術教育の実践・研究を行う。

美術家としての前嶋先生について

――まず、先生ご自身の美術家としてのお仕事をご紹介いただけますか。また、美術教育とのかかわりを教えてください。
美術家としては、ブロンズ彫刻を制作しています。アニメーションは動く時間軸の芸術、それに対して、彫刻は空間の芸術です。その点で、芸術ジャンルの中では両極ともいえるわけですが、自分にとっては、アニメーションの教育に、美術家としての実践が生きていると思います。美術家としての活動としては、展覧会に自分の彫刻を出品したり、肖像彫刻をブロンズで制作したりもしています。
美術教育の方面では、幼児教育に焦点を当てていまして、「粘土場」――要するに、保育園・幼稚園などに、砂場のように1トンくらいの粘土をいつでも使えるような場所をつくります。そこで、幼児が自由に遊びながら、粘土で造形をすることで――粘土である形をつくってはまた壊して別の形につくってというように、イメージが動いていくことを自発的に体験できる。そういう実践的な教育活動を進めています。キーワード的に言えば、美術教育のテーマは、幼児造形教育ということになると思います。
いま日本の教育は大きな転換点にあって、文部科学省の方針も大きく変わり、教えることから自ら学ぶことへと学びの転換を図っています。また、教えることと自ら学ぶことのバランスをどうするかも問題で、この課題に日本中が真剣に取り組んでいます。私が取り組んでいる幼児造形教育は、粘土を使う自発的な造形活動を通して、触覚――触覚は基底感覚なんですけど、幼児が自ら自発的に造形することで、この基底感覚を使うことを自ら学びます。この基底感覚を豊かに育てていくことをライフワーク的にやっています。
――基底感覚というのは?
視覚がもっとも顕在化した感覚――つまり、私たち自身が強く意識して、外界や自分自身を意識的に知るために日常的に用いている感覚ですが、この感覚は単独であるわけではなくて、ほかの感覚と結びついているとともに、ほかのより深い感覚に支えられています。基底感覚とは一番根っこにある、ほかの感覚を支えている感覚のことで、触覚が、この基底感覚なんです。
――ところで、基本的なことですが、「ブロンズ像」とはどのようなものでしょうか。高校生にもわかりやすく教えていただけるとありがたいんですが。
一番わかりやすいのは、街中にある「銅像」ですよね。作り方としては、まず粘土でつくった像を石膏で型取りをして、それをもう一度蝋で型取りをして石膏で固めたうえで、そこに溶かした銅(ブロンズ)を流し込みます。そうすると、パカッと「鯛焼き」のように割ると(笑)、像ができあがります。制作期間は、人間と同じサイズだと、なんだかんだで、半年はかかりますね。
カルクカスカナル音ニテ MODA
前嶋英輝
カルクカスカナル音ニテ
182×52×46 FRP 1984
前嶋英輝
MODA
171×53×45 ブロンズ 1999
五六七を待つ Sの頭像
前嶋英輝
五六七を待つ
142×43×78 石膏 ガラス 2003
前嶋英輝
Sの頭像
25×21×26 石膏 2016

美術の教養は、アニメ制作にどう影響するのか

――先生の美術家としての経験を生かして、本学で教えてらっしゃるわけですが、アニメの制作・鑑賞に、美術の教養はどのように生きるのでしょうか。また、本学では1年次から先生のデッサンの授業を受けますが、アニメの制作にはどのように生きるのでしょうか。
一番学生たちと話すのは――多くの学生が、中学生くらいまでで、バストショット(胸から上の肖像のこと)のアニメやマンガの絵の模写をやってきているんですよね。ところが、いざ全身を描いて動かす、たとえば、手を描いてアニメとして動かそうとすると、途端に難しいという人が多いんです。
そういう意味では、美術というものは、先ほど基底感覚についてお話ししましたけど、身体的なものをベースにしているので、アニメのキャラクターの全体を描く、あるいは、キャラクターの動きを描くにしても、単にアウトラインを追いかけて目で見たままを描くのではなく、自分自身の身体感覚で、動きをとらえる――ある意味、最先端のモーションキャプチャー(高速度カメラを活用し、身体の重要なポイントの動きを撮影し、そのままデジタルデータ化する技術。このデータをもとにして、リアルな動きの3Dアニメーションをつくることができる)による3Dアニメーションと似ているかもしれないんですけど、自分自身の身体の動きからキャラクターの動きをそのまま理解して、描くことができるようになる必要があります。デッサンをトレーニングすることは、このような身体感覚で、アニメのキャラクターの形や動きを描けるようになるために必要なんです。
さらに、デッサンだけでなく、美術の鑑賞能力を高めることも、アニメーションを中から、自分の身体を通じて描くことができるようになるために役立ちます。見るだけなら、テレビ画面で2Dで見る――画面で見る場合は、やはり3Dも2Dにならざるを得ないんですけど、もちろん見るだけならそれでよいと思います。でも、つくるとなれば、四方八方から、上からも下からも――俯瞰とかアオリとか言いますが、四方八方から描けないといけなくて、これは、身体感覚がないと描けない。2次元で見るだけでは限界があるんです。
――実物を見て、自分自身の身体感覚でそのものの形をとらえるということの意味があるわけですね。実際のデッサンの授業では、学生が代わるがわるお互いにモデルになって、デッサンを描くようにしていますよね。この授業で、身体感覚を学んでいくことになるのでしょうか。
そうですね、自分でも経験がありますが、モデルをするのも身体感覚をとらえるよい訓練になるんですよ。加えて、プロのモデルさんにお願いする授業も組んでいますから、身体というものの動きやつくりをとことん学ぶことができます。それから、「鉛筆が走る」「ペンが走る」ということばがあるんですけど、頭が考えるよりも先に手が動いていく、そういう身体的な訓練も必要なので、デッサンの授業では、身体を通して学ぶトレーニングをやっているわけです。

美術に関係する授業について

――本学の美術に関係する授業は、ほかにどんなものがありますか。
全学的には、「美術の見方」という授業がありまして、これは、基礎科目、一般教養的なものです。人類が興した芸術の歴史を概観する内容で、高校生でもわかりやすいところでは、ルネサンス期の美術や日本の古代からの仏教美術などを紹介します。自分でいうのもなんですけど(笑)、これは結構人気がある――160人くらいの受講生がいる授業です。
学部では、芸術概論的な授業をやっています。そちらは、アニメにちょっと寄った内容で、美術系のものでいえば、たとえば、鳥獣戯画を分析的に眺めたり、明治以降の美術背景画が西洋の水彩画とどう関係していくかなどを概観しています。
――学生が実際に自分で手を動かす授業というと?
担当している授業では、アニメーション基礎とアニメーション演習があります。これは、基本的な、「歩き」「走り」のアニメーションの原画と作画の制作から始めて(動きの始まりと終わりの2枚の「原画」を描き、その間を中割して、「歩き」「走り」の動きのアニメーションをつくる)、それから、Adobe After Effectsというアニメーション制作のソフトウェアを使っているので、それを実際に使ってアニメーションを作成し、効果をつけていくということを、自分でシミュレーションしながら学んでいく。絵コンテへ結びつけていくという内容です。
――美術の授業がベースとなって、アニメの動きを学んでいくということでしょうか。
そうですね、模写はすごく勉強になるんですけど、そこで足りないのは「自分」だと思うんですよ。自分がない人は作家とならないというか、真似だけというか――そういうオリジナリティのようなものは、自分で経験を積んでいくしかない。だから、こうしたいという以上に、そうせざるをえないというもの、こうでないといやだという生理的な感覚がそれぞれの人にはあります。この感覚が出てくるまで極めないと、自分の作品にはならないのかなと思いますね。


指導上心がけていること

――指導上心がけていることはありますか。
うーん・・・とにかく描く(笑)。たくさん描く。枚数描く。これしかないと思います。もうひとつは、たくさん見る。ひたすら、映画でもいいし、いろんな経験を積む、たくさん見る。これしかないと思いますね。
――「これしかない」というのは、先生の御経験でもあるのでしょうか。
自分の経験上からいって、若いころというのは、パッと見た目でカッコいい作品や綺麗に見える作品、上手に見える作品に惹かれるんですね。ぼくの経験を話すと、抽象彫刻やコンセプチャルな美術がはやった時期に学生時代を過ごしたので、この流行りというか――現代美術に若いうちはすっと行くんだけど、気が付いてみると、作り込んだものでしか現代美術としても通用しないのが事実なんですね。ゴールがそこ(たとえば、現代美術)だったとしても、そこに至るまでの準備が自分としてどこまでできるか、その時間をどう仕込んでいくのか、その準備を自分がどこまで緻密にできるのか――それに尽きると思います。
――つまり、描いていくということですね。
そう、ひたすら描いていくことが重要な準備になります。

研究室の書棚の前で。美術書・哲学書に交じって、マンガ版『風の谷のナウシカ』も。

アニメーション文化学部で学ぶための高校時代の過ごし方

――アニメーション文化学部で学ぶため、高校時代はどう過ごせばよいでしょうか。とくに、アニメが好き、絵が描くのが好きという高校生の場合は。
今高校の美術もいろいろな過渡期にあって、いい意味で鑑賞教育に傾いている。昔ほど油絵ばかり描けということではなく、鑑賞教育にも力を入れたことで、伸びる力がついてきていると思います。
ただ、絵を描くのが好きな人は部活動なんかに入っていくんだけど、県展に出すための油絵のタブロー(本画。最後に仕上げのワニス(タブロー)を塗って仕上げるまで描いたものの意)を描くということと、アニメを描くということが、かなり分けられて考えられている面があって――ジャンル的にはまるごとひとつに見ることはできないかもしれないんですけど、アニメーションが芸術だという認識がもっと腑に落ちてくるといいんじゃないかと。生徒さん自身にも腑に落ちていない部分があると思うんですよね。描き込んでいくことで、「これは、油絵のタブロー描くのと同じなんだ」と納得してもらえるんじゃないかと思います。それだけのエネルギーもいるし、それだけ真剣に取り組む必要があるんだとわかれば、おそらく美術に取り組む姿勢も、描かれて出てくる絵も変わるんじゃないかと思います。
ぼくも高校の美術の先生に知り合いがいっぱいいるので、一生懸命言うんですけど、美術部で「マンガなんて描いている場合じゃないぞ」という時代ではもうないんです。
――もうなんでもいいから描いてみろと。
(笑)そう、描いてみろと。油絵でもアニメやマンガでも手を動かして行きつくゴールは同じだと、生徒さんにも先生にも思ってほしいなと考えています。
――では、高校から大学に入って――授業については先ほどお聞きしましたが――、将来を見据えると、授業以外の時間はどう過ごすべきでしょうか。
いま東京の若手のアニメーターの方とちょいちょい付き合うことがあるんですけど、どう言ったらいいのかな、アニメーターの世界で50代を過ぎて現役でがんばっている、日本のアニメの世界を支えている方と、大学卒業して、若手でフリーでやっているという人で、大学組織のできるタイミングの問題で若干差があるんですね。若い人たちがやっていることというのは、自分の感性を磨いて、自分しかできない質感とか動きとかこだわりのあるアニメを作ろうとしている。だから、学生たちも、卒業してから自分の世界を作ろうとしてもまったく遅い。4年というのが長いのか短いのかという問題もあるんですけど、ともかく入ったら、自分の好きなアニメ――高校のときにすでにたぶん好きなアニメはある程度あると思うんですけど、それを磨いていくうちに、もうワンステップ自分のできることがしぼれてくると思うので、2Dでも3Dでもコマ撮りアニメでもなんでもいいので、そういうものを2年生ぐらいで1本つくる。いいとか悪いとかじゃなくて、1本つくったことがあるという経験があること、その力をつけることが大事だと思いますね。そして、自分がわくわくする、描かないではいられない、授業だからとかではなく、暇があったら手を動かして描かないと落ち着かない(笑)くらいの楽しさを見つける。これは人に言われたからといってできることではなくて、自分がたくさん経験したり、いいものをたくさん見て、それにあこがれるということしかたぶんないと思うんですね。
――賞の応募とかはどうですか。
うちの学生にも紹介はしていて、すでに何点かイラストのコンテストとか、アニメのコンクールとか入賞した人もいます。常々コンテストやコンクールは紹介はしているんですが――ここがちょっと難しいところもあって、ついコンテストやコンクールに合わせた作品をつくってしまうんです。そうすると、自分らしさが消えてしまうかもしれない。でも、逆に言えば、自分の芯の通った作品でなければ評価もされないので、そこを教員としての立場として、指導していかなければと思っています。
――応募すること、受賞することの意義はなんでしょうか。
受賞の一番の意義は、「自信」でしょうね。「ステージ」(自分の活躍する舞台で、同格と扱ってくれる人がいるような場。)というものが――たとえば、サッカーでも野球でも「ステージ」(すべてのチームが参加できるファーストステージ、優勝を争うチームが参加するファイナルステージのような)があると思うんですけど、次のステージに行ってもよい自分なのか、行くのがおこがましいのかという逡巡が誰にもあると思うんです。そのときには、賞が後押しをしてくれて、「あ、自分は次に行ってもいいんだ」と思える。それが一番の価値だと思いますね。もちろんついてくるステータスもありますけど、それはまあ、当たり前なわけで。

本学部を目指す人へのメッセージ

――これから本学部を目指す人、その他若い人にメッセージをお願いします。
うちに来てくれると一番いいところは、幅の広いアニメを考えることができることでしょうね。入ったから2Dアニメだけやれということはなくて、広い意味で絵がうまくならないからどうしようと悩まなくても、アニメーション文化学部なので「文化」としてアニメを見ましょう――たとえば、シナリオを書いたり、プロデュースを学んだりということを自分の視野の中に入れて、アニメが好き、つくるのが好きとなればつくればいいし、プロデュースがやりたい、企画運営に興味があると言えば、それを勉強して、就職もそちらに行ってもいい。幅広いアニメにかかわる学びの選択と、進路の選択があります。これが一番良いことだと思います。また、中四国でアニメーションを扱う「学部」があるのはうちだけです。西日本から多くの仲間が来てくれれば――いい仲間が集うのが大学の一番の価値ですからね。それから、中国や韓国、ロシア、東南アジアからどんどん学生が来ているので、そういう人たちと交流して、世界に飛躍するのも、国際大学の価値だと思います。
――アニメーションを「文化」として、制作・プロデュース・文化研究と幅広く学べること、西日本各地からの多くの仲間や海外の仲間と広い視野を持って学べること。確かに、これが本学部の魅力なのかもしれないですね。本日は長時間ありがとうございました。

研究室のデスクにて。画面は、本シリーズ第1回井上先生のインタビュー。室内の緑が印象的。

インタビュー:2016年6月7日
撮影:今村俊介、構成・インタビュー:大谷卓史
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